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恋唄綴り 

第一章 「39歳の誕生日」

2014年2月、二度の大雪が降ったその月に映画監督・細野辰興さんから連絡があり、しばらくぶりに横浜で会うこととなった。
細野さんとは、2010年の「スタニスラフスキー探偵団」初演時に初めてお会いした。
僕の所属する事務所の社長に紹介され、年齢的には全く無理のある往年の大スター、馳一夫を老け役で演ることになったのだが、稽古期間が約二ヶ月…楽しくも大変な日々だった。
翌年、映画「私の叔父さん」にもオファーをくださり、高橋克典さんの旧友役として出演しつつ、僕の撮った写真を劇中で使ってもくださった。
以来、ちょくちょく横浜でデート(!?)させてもらっている。
本当に、映画のことを愛している人で、過去の現場の話や、観てきた映画の話をすると際限がない。パワフルで、エネルギッシュで、実は僕の父とそう年齢は変わりはないのだが、一緒に呑んでいるとこちらまで高揚してしまう。

「話がある」ということだったが、「何か食べよう」ということでもあったので、僕の行きつけの炭火焼肉のお店のカウンターに入った。
近況報告のあと、まさかまさかとは思ったが、あの「スタニスラフスキー探偵団」の再演の話と、またその上演中を映画として記録すること、更にバックステージを映画にするという企画を聞かされた。もちろん制作会社がある訳でもなく、多くのスポンサーがいる訳でもない。前回同様、自主的な公演であり、また自主的な映画でもある。
呑気に「細野さんいよいよ勝負に出るなぁ」と話を聞きながら、美味しくホルモンをつまんでいたら、
「で、その舞台の風間役を、そして映画の主演をやってみないか?」と言われた。
走馬灯のように、初演時の風間役のことが頭をよぎる。情熱的な映画監督役、饒舌な、圧倒的な台詞量。ほとんど舞台から消えることのない正真正銘の主役。ご存知のように、舞台経験はほとんどない自分。
やれるか? やっていいのか? やらなくていいのか? やりたいのか? やるか? やらずに死ねるか? 束の間だけど、実際そこまで考えた。考えたが、「やります。お願いします。」そう言ってた。
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俳優としての自分を見失っている時期でもあった。40代を前にしてこれからどこへ進めばよいのか?暗中模索…。手応えのない時期でもあった。そういう時期は過去にも何度かあって、あえて一年近く仕事をしなかったこともある。なんとなくの思いで、惰性で続けていけるほど俳優の世界は甘くない。

熱く、そして重く、これから撮ろうとする映画のことを語る細野さんの横で、いろいろなことを考えていた。これまでのこと。これからのこと。現状に満足などは出来ていなかった。それだけに、他の仕事が出来なくても構わない。この作品に一年を捧げるつもりで挑戦してみよう。
まぎれもなく、30代最後の大舞台となる。40歳を前に大きな変化、刺激を欲する自分にとっては願ってもいない機会となるはずだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは単なる仕事ではなく、やらねばならない修羅場だ。
「この役を引き受けるのに、今までの僕はいらないですね。」
そう言うと、細野さんは嬉しそうに微笑んだ。

細野さんは知らなかったようだが、その日は2月26日。僕の39歳の誕生日だった。
出演依頼は、異才映画監督、細野辰興らしいサプライズなプレゼントで、また俳優・草野康太への果たし状、挑戦状でもあると思った。
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ほろ酔いで帰宅する細野さんを関内の駅で見送り、細野さんと行ったこともあるBARに寄り、少し気持ちを落ち着かせてから家に帰り、初演の台本を引っ張りだした。
それは稽古の終盤に、細かな修正を加えてから書き直された最終稿で、だから全く汚れてないものだった。まるで再演を予感してたようなまっさらな台本を前にすると不思議な因縁すら感じてしまった。
冒頭の長台詞を声に出して読んでみる。それだけで一苦労…。
初演の風間役のイメージを捨て、自分なりの、新たな風間像を構築しなければならない。いや、草野康太さえ捨て去るのだ。時間はまだまだたっぷりとある。

2月26日、僕の誕生日は気付くとすっかり終わっていた。。。(つづく)

この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
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