Img_c7f08c4992ee424744cd17ab123b953e
恋唄綴り

第三章 「わが心の高円寺」

4月16日。
今回の舞台「スタニスラフスキー探偵団」公演を行い、映画「貌斬り」の撮影もする予定の小屋の内覧をすると言うので高円寺に降り立つ。
ほぼほぼ細野辰興さんの中では決まっているようで、予算的なことも含め、他を探すことはないだろうと思っていたのだが、やはり自分の目でも確かめてみたくなった。

待ち合わせの時間よりだいぶ早く高円寺に着いたので、その懐かしい街並みを眺めながら、北へ北へと…野方の方まで歩いてみることにした。
実はこの西武新宿線の野方と言う街に、二年間近く住んでいたことがある。そしてその部屋から高円寺までも歩いて15分ほど。高円寺の駅の界隈にも幾つか思い出がある。
決して甘い思い出ではない。しかし、俳優としての自分の原点とでもいうべきか、青春と呼ばれた時期に、確かにこの地に、かつての僕はいたのである。
Img_f51a715cff26873912945a8e4e87713f
高校を卒業して、とにかく自立したかった。なので当然、一人で暮らしてみたくなった。貯金を封筒に突っ込んで不動産屋を巡ったのは18歳の春のこと。
隣町に友人が住んでいた。そのまた隣には、尊敬するRさんのお宅もあった。そんな訳もあって野方の駅から10分ほど、高円寺からだと徒歩15分のボロアパートに住むことにした。当時家賃3万円ほどの、当然のことながらの風呂なしだった。何故か銭湯暮らしに憧れた。いつかは風呂付きの部屋に。まるで浜田省吾の世界だが、スタートラインはあえて風呂なしに、自分なりのこだわりでもあった。
17歳のときに映画に魅せられたばかりに、俳優として新たなスタートを切りたいと、それまで所属していた児童劇団も辞め、フリーでオーディションに通っていた時期だった。映画「二十才の微熱」と「渚のシンドバット」のちょうど中間の時期だ。

記憶をたよりに、そのアパートのあった場所に行ってみた。周囲の建物などは見覚えがあったが、僕の住んでいたアパートは、既に壊されていたようだった。
変形した5、5帖の部屋。その台形のアパートは、当時の形を残したまま、一軒家に変わっていた。
窓を開けたまま眠ると、朝方ベットの下に気配を感じ、覗くと子猫が眠っていたこともある。夜中に耳を澄ますと階上の老婆のいびきが聞こえてくるような部屋でもあった。
眠っていたか、映画を観ていたか、本を読んでいた記憶しかない。いつも一人でいた部屋。

新しい事務所が決まり、朝ドラ「走らんか!」の仕事が内定し、大阪での撮影が始まる直前に解約した。大阪でのビジネスホテル暮らし、いつ入るかは解らないギャラ。いそいそ実家に舞い戻った。
20歳になろうとしていた頃だった。それから20年近くの時が経って、またこうして高円寺の駅を目指して歩いてく自分は、当時とあんまり変わってないような気もしてくるから不思議だった。
一緒に舞台をやらないか? そう言われ、吉祥寺に住む友人の家に行く為によくその道を通った。
一緒に脚本を書かないか? 西荻窪の友人の家にも何度か行った。その度、高円寺の駅を利用した。
一緒に映画をやらないか? 20年後の今日も、映画を創る人に会いに歩いている。
Img_ac6d1fe5a96264bf05ebfb70bf46859e
映画、映画、映画、時に演劇鑑賞の日々で、ビンボーながらも充実していた。
俳優としての仕事は、見事なくらいに成立しなかった。オーディションには見事な確率で落ちまくった。落ちまくりながらも、「次はやろうな」、「いつかやろうな」、そんな言葉に支えられ、涙こらえてまた映画を観る。映画館の暗闇に、アパートの暗がりに身を浸し、映画の中に自分の未来を探し出す、モラトリアムな日々…。
ある女の子と映画を観に行って、その映画の世界に没頭するあまり席から立ち上がれなくなり、「映画が観たいの? デートがしたいの? どっちなの?」と怒られたこともある。言わずもがな、まずは映画が観たかったのだ!デートはその後で、なんてことは彼女には言えなかったが…。
高円寺の駅前に、店名は忘れてしまったがマニアックなビデオばかり置いてくれているビデオ屋があって、そこで作家ごとにまとめて借りていった。ヴェンダース、ベネックス、ジャーッムシュ、スコセッシ、トリュホー、ゴダール……、邦画に関してもATG系のものから、当時のインディーズ系のものまで、なんでも揃っていた。その頃、そのビデオ屋があったであろうその場所を訪ねると、やはり古着屋に変わってしまっていた。残念だが仕方ない。ビデオはDVDに移行し、そのDVDだってこの先どうなるかはわからない。
100円で10分浴びれるコインシャワーはまだ残っていて、やはり高円寺だなとちょっと安心。庶民的な風情は至るところに残されていて総菜屋、定食屋、銭湯、公民館、レコード屋まで。尚かつ古着屋、喫茶店の充実には驚いてしまうほど。
もし、劇場が高円寺に決まり、稽古場が中央線沿線になるのならば、いっそ高円寺に引っ越してしまおうか?なんてこともチラっと思ってしまうほど、その裏通りの充実ぶりは魅惑的だった。
20年の時を経ての、高円寺との再会。もし本当にこの地での公演が決まればこれまたいろいろとご縁があるのかもしれない。
Img_044b57c6a3424692742a368ee2400c1a
いよいよ夕方、細野監督ほか、出演者と連れ立って、明石スタジオへ。
黄色い外装。住宅街の中にあるという立地。年月を経た味わいある楽屋、階段。そして重厚な扉。真っ黒い客席。縦に広くない正方形の、ちよっと狭いかな?という位の感じがとても好ましかった。
シアターというより小屋、スタジオという名称がピタッとはまる空間がそこにはあった。

なんら不満はなく、細野さんも手応えを感じてるようで、次回契約の運びになりそうだった。
帰り際、駅前の中華屋でビール、そして紹興酒。この中華屋、安くて美味く、公演中も、打ち上げまでもお世話になった店。細野さんに負けないほどの映画通、杉山さんも参戦。このお二人の会話は何かの映画の副音声で中継したりしたら面白いのではないだろうか? とにかくとめどない。
ひとしきり呑んだ後で、これだけは言っておこうと細野さんより、、、
黒澤明監督も好きだったという言葉…「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」やろうぜ!!

この言葉を、これから先、何度聞いたことだろう? そして、何度読み返したことだろう?

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」
この20年前の思い出の地、わが心の高円寺で、やってやろうじゃないの!! とは思うのだが、なにしろ稽古まではまだ半年以上もあるのだった。。。


回り道ばっかりでなかなか本題の稽古、公演中のことまで辿り着きませんが、これからも綴っていきますのでお付き合いください。
この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
 (Click!) 

Comments

Post a Comment


*印は必須項目です
captcha
コメントする