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恋唄綴り 

第七章 「俳優の休日」

「俳優さんって、休みの日は何をしてるんですか?」
この手の質問をよくされる。本当に答えに困る質問のひとつで、相手がどんな答えを期待しているのかは解らないが、休みなのだから休んだり遊んだり、仕事に備えているかをしているくらいで、俳優だからこその特別な休み方など、自分が知る限りは特にない。「つまらないかもしれないが普通ですよ」。こんな返答も味がないと思うから、余計にややこしい。
はたして他の俳優さんはどんな休日を過ごしているのだろう?
はたまたどんな洒落た答えを返しているのだろうか?

そもそも(休日)という概念がない。曜日の規則性もない。
長期的な撮影を抱えている場合を除いての休日は、仕事のない俳優にとっては失職の日々で、いてもたってもいられない、まさに休んでいる場合じゃないだろうと落ち着かない。そう、俳優にとっての長い休日はバカンスでもなんでもなくて、不安定で落ち着かない辛苦の日々なのである。

何かしらの仕事を抱えているときの休日は、やはりその為の準備をする休日となる。
台本と予定表を鞄に入れ外出する。映画を観たり、友人と会ったり、街を歩いたり、食事をして、酒を呑んだりしながらも、心はここにあらず。始終台本を開けたり閉じたり悩んだり…。と、こんな休日を過ごしている時が、自分は俳優なんだと自覚することの出来る時間だったりもするので、長く付き合ってきたけれどもつくづく自分は面倒くさい男だなぁと思ってしまう。
そして、この舞台「スタニスラフスキー探偵団」稽古中の休日は、いつもそんな時間に充てられた。
水曜日か日曜日に設けられたこの休日はとても有り難かった。連日の稽古では追いつかない個人的な作業に充てることが出来たからだ。思う存分の思索の時間。自主練の、復習の時間。稽古場で、時間を止めて個人的な課題に取り組むことなど出来はしない。
稽古が始まり、本読みが始まった今、この休日にしなければいけないことは、とにかく台詞を完全に入れること。台詞を叩き込まなければ、はじまりさえ歌えない。
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台詞はとにかく膨大だった。
冒頭の、独り語りだけで17行。映像ではなかなかない。独白というより演説に近い。
一番長いくだりで24行。1ページまるごとなんてのは当たり前。一日や二日で覚えられるような量ではない。かといって時間を掛ければ自然と覚えられる訳でもない。何より演じている時と同じく、集中力が必要になる。
映像の時は、ある程度おおまかに覚えておいて、あとは前日にノートに書いて覚えたり、録音して耳で聴いて覚えたり、とはいえ年々台詞覚えに苦労していることは自覚している。明らかに、脳は退化している。というよりは年を重ねると共に、気持ちとは裏腹な台詞たちが増えてきたということだろうか?
感情を伴っていればすんなりと身体に入ってきたはずの台詞たちが、次第に難解な言葉に感じられるようになり、覚えることが難しくなってきた。言葉の問題というよりは、感情の道筋がより複雑になってきたということだろうか? つまりはそれが大人になるということなのか?

夏から少しずつ覚え始めてきた台詞たちも、本を離しても少しずつ言えるようにもなってきたが、まだまだ足りない。たどたどしい。自信がない。身体の中には収まってない。たとえ高熱になっても、たとえ酔っぱらっていようとも、あるいは口を塞がれても言えなければ、あの舞台には立てない。
ある時、不意に、声を出さないと覚えきれないのでは? そう思った。
文字を追っていても駄目。マスクの下で、軽く唱えても駄目。それでは言葉は腑に落ちない。
何より声に出さなければ! 本番さながらに声を出し、喉で感じ、口角に馴染ませ、そして腹底に落とし込み、そこでようやく初めて台詞が身体の中から放たれる。そんなイメージを持ったのは、稽古開始のひと月前くらいのこと。
そこから集中的に、ブロックごとに録音を重ね、また一人でカラオケBOXなどにも行き、声を発しながら覚えていった。

ある映画の撮影のときに、主演の俳優さんに呼び出され、深夜にリハーサルをしたことがある。長旅を経てのホテル入り。午前0時を過ぎていたのにその俳優さんから電話があり、まさかと思ったが、営業終えたホテルの食堂で深夜のリハーサルが始まった。
「別に今の感じでも構わないかもしれないけど…」主演の俳優さんは軽く笑い、「でもまだ、台詞が腑に落ちていないよね。草野君の身体の中に染み込んでいない。それではただ上手に台詞をいっているだけ。TVドラマならOKかもしれないけれど、それではまだ物足りない。これは俺が企画した映画でもあるんだ。もっともっと俺を刺激してほしい。君の役はそういう役なんだ!」
出番は少ないながらも、重要な役でもあった。もっと年配の人がキャスティングされててもいいようなくらい、その主演の俳優を挑発しなければいけない役だった。難しい。確かに腑に落ちていない台詞だった。言葉だけが上滑りしてしまうような…。
けれど、それでは駄目なのだ。日常生活ではあまり言わない言葉をも腑に落とす。自分の言葉ではなく、その役の言葉として…。
翌日の撮影は幸いにしてOKをもらえた。しかし、それはまぁ大丈夫かな?くらいのOKで、真のOKではなかった。仕上がった映画を観て悔しくて仕方なかった。いつかその俳優さんに再会したら、リベンジしたい。しなければ辞められない。あの日の深夜のリハーサルには、応えることがまだ出来ていない。

台詞を腑に落とす。目でも脳でも口でもなく、下へ下へ、中へ中へ、腹の奥底に。言葉を蓄積する領域は、身体の中心にあるのかもしれないと思ったこの時の体験は、悔しくも忘れがたい。
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声にして、言葉にして、音にして、叫びにして…とにかく腑に落とす。
言葉を自分の身体の中に取り込んで、自在に発しながら、後で気付ける感情もあるだろう。言葉の裏側なんて今は探らない。言葉をボリボリと、ガリガリと齧っては呑み込み、腹底に収めるイメージを持って…。
2014年11月30日(日曜日)、休日のこの日も、僕はカラオケの鉄人に乗り込んだ。
二時間のつもりが三時間弱、壁の向こうから薄く聞こえてくる隣室のミスチルに、軽くドロップキックを喰らわせながら、孤独な絶唱を奏で続ける。これぞ即ち、俳優の休日。

異才映画監督・細野辰興が紡ぎだした言葉群よ、五臓六腑に沁みわたれ!!

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舞台「スタニスラフスキー探偵団」を経ての、映画「貌斬り」は絶賛編集中。
完成はまだ先ですが…。この文章は、その完成した映画を、全国各地の映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。募集も残り50日あまりとなってきました。
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