Img_3c9c747912389ffeaa864bb9ccbb153c
恋唄綴り

第四章 「流浪の民」

2014年、39歳の誕生日に細野辰興さんからの出演依頼を頂いたその一年は、「スタニスラフスキー探偵団」稽古開始の間までにも意義深い仕事の続く一年となった。
舞台のこと、映画「貌斬り」のことは絶えず心の片隅にはあった。あったけれど、他の撮影の時だけは封印した。片手間で読めるような戯曲ではなかった。本を開いたら忽ちに、2時間の漂流が始まって、還れなくなってしまう。読む時は心して…覚える時は集中して…そう思っていた。

7月。利重剛監督が横浜だけを舞台に短編を綴る「Life works」の一篇「雨の車内で」に出演。
登場人物は二人だけ。雨の降る日本大通りに車を停めた男と女の、エッセイ風な小品である。
撮影は一日のみだったが、前年の秋から始まった「Life woks studio」のメンバーにもなっていたので、月に数回、中華街のリノベーションされたビルの屋上にあるスタジオに通った。
俳優としても活躍されている利重さんを頼って集まった俳優同士で、既存の台本を通して演技をしたり、時にエチュードをしたり、また撮影してみたり。演技経験のない俳優志望の為のワークショップではなく、ちょっと仕事に間が出来てしまった俳優達がいつでも撮影に臨めるようにチューンナップ、鍛錬するような場所にしたいというのが、利重さんの目論みでもあった。
今回出演した「雨の車内で」も相手役を変えたりして何度か演じたことのある題材で、連作短編「Life works」はこのスタジオと連動するような形で生まれ、当然スタジオのメンバーも出演者として名を連ねている。

利重さんに初めて会ったのも10代の終わり。
映画「エレファントソング」の脚本を当時から親交のあった御法川修さんが書いていたのが縁だった。実はこの「エレファントソング」のクレジットに、「協力」のところで僕の名前がクレジットされている。
御法川さんが脚本を書くにあたって、当時としては珍しく僕がワープロを所有していた為に、彼の紡いだ文章をワープロで打っただけにすぎないのに、あえて協力者として名前を載せてくれたのだ。映画を観たとき、出演は叶わなかったが素直に嬉しかった。そして、いつかは出演者として…。その願いは20年近く経ってようやく実現したことになる。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
俳優としての表記以外に、僕は映画のクレジットにこれまで3回登場している。
1本目がその「エレファントソング」、そして橋口亮輔監督の「サンライズ・サンセット」にも。これは衣裳協力として。そしてまた細野辰興監督作品「私の叔父さん」。これは劇中に登場する写真を提供した関係で。
どれもこれも、俳優としてではなくただ一人の人間として、少しは映画創りに貢献できたのかな?と、出演した時とは異なる独特な満足感がある。
映画「貌斬り」もまた、クラウドファウンディングに賛同してもらえたら映画のクレジットに表記されるという特典がある。まだ見ぬ映画に対しての支援。それだけで充分すぎるくらい映画に貢献していただいてるのだから当然のこととも言えるが、映画のクレジットタイトルに名前が載ることの感動は、体験してみないとわからない類いのもだと思う。
舞台を観て感動した。完成した映画を是非、映画館で観てみたい。また草野康太の主演作を全国に届けたい等々…。動機はなんでも構わないのです。この場を借りまして、良かったらご検討ください。
映画「貌斬り」のクラウドファウンディングはこちらから→ (Click!) 
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

連作短編「Life woks」はすでに8本ほどの撮影を終え、年明けからは横浜のジャック&ベティ、また新装リニューアルされたばかりのシネマリンでの上映が始まっている。撮影は一話につき一日、もしくは二日なので、利重組由縁の蒼々たるスタッフが集まり贅沢な一日となる。
利重監督の人柄もあるだろうが、「一日くらいなら都合つけて応援行きましょう!」という感覚で映画愛に溢れたスタッフ達が、撮影そのものを楽しんでいる。俳優だけでなく、スタッフもまた自由で刺激的な創造の場を求めているに違いないのだ。
プロデューサーは「ヨコハマメリー」の中村高寛さん。ヨコハマ繋がりで出会った方々とようやくお仕事出来たことも嬉しかった。僕の出演作「雨の車内で」は恐らく4月から、これまた無料上映という形でお届けするのも新たな試みで、正直、無料では勿体ないくらいのクオリティーなのだが、それを上映する映画館も、地元で作られる映画に協力的なのだった。
出演は済んでしまったが、地元ヨコハマの体験的映画作りにこれからもなんらかの形で関わり続けていけたらと思う。
映画「Life works」のホームページはこちらから→  (Click!) 
Img_14cddf6f8b2a0a774cbf834d5ab5c6af
Img_2b0b1d3f53d676ba95dc41b956b07e20
8月に入ると矢崎仁司監督作品「× × ×(キス キス キス)」の撮影が始まった。とは言え、これもようやく撮影にこぎつけたといった感じで、矢崎さんとはその前年から「こんな感じのを一緒にやりましょう」と言われていたものが、春予定の撮影が延期になり、台本はいつになっても読めずじまいで、とにかくドタバタ続きの撮影になりそうな予感だけはしていた。
この作品も短編集。僕はその中の一篇「いつかの果て果て」という作品に出演することとなったのだが…。予感は的中を越え、予想を遥かに上回る大変な撮影になってしまった。
山梨入りしたその日の撮影が、いろいろ問題あって1シーンも撮れず、翌日からは台風が接近してまた撮れそうもない。夜を待ちながら、また雨音を聞きながら、粛々とクランクインの瞬間を待った。
全編夜の撮影ということで、昼にはたっぷりリハーサルも出来たし、衣装合わせは連日行われた。「画が見えてこない…」映像派の矢崎さんには、矢崎さんにしか見えてこない画(映像)がある。だから何度も着替え、着替えては裸になり、その度、自分が演じる役について考えさせられた。
台風が通り過ぎていった夜、スタッフルームも兼ねていた矢崎さんの実家の離れで、矢崎さんが観てきたであろう映画のパッケージを見ながら酒を呑んでいた。壁中びっしりと、映画のタイトルが並んでいた。まるで映画史のような部屋で過ごし、とてつもなく映画的な時間を過ごしていることだけは実感出来るのだが、まだなんにもしていない自分はこのままでいいのだろうか? 果たして役を掴めているのだろうか? 果たして本当に撮影は行われるのか? 悶々としながら、大型台風が日本海に通り過ぎて行くのを待っていた。
翌朝は快晴だったが、撮影を予定していた河原が氾濫していたので、映画はロケハンからやり直さなければいけないとのことで中止が決まった。
つまり、1シーンも撮ってはいなかったのだ!?

仕切り直しは9月になって、これを逃すと季節的にももう撮れないという危機感をみんなが感じつつ、夜を徹しての4日間があっという間に過ぎた。
昼はただただ死んだように眠り、夕方から次の日の朝まで、スタッフ、キャスト、皆がまるで夜行性のフクロウのようになって、南アルプスの麓で映画の為だけに生きた4日間だった。
朝と昼と夕を兼ねたスタッフ手作りの食事を卓を囲んでたいらげては、夜中は小さなおにぎりとサンドイッチを食い繫いで日の出の時刻まで闘った。おにぎりという食物が、こんなに美味しいと思ったことはない。「今日は豪勢にカップラーメンを夜食にしよう」と、最終日は大量のカップラーメンが現場にあったのにも関わらず、それも食べることさえ忘れ、まさしく夜明けと共にクランクアップ。
夜は長い、いやいや、夜は短い。女と男と少女が過ごすひと夏の夜「いつかの果て果て」。現場を経て、なるほど良いタイトルだと気に入っている。

結局何分の作品になるかは解らないが、とにかく濃密すぎる4日間だった。
「これに懲りずに、またやりましょう!」と矢崎さんが言ってくれていたが、この矢崎仁司さんこそ、僕が17歳の時に今はなき新宿のシアタートップスという芝居小屋で「三月のライオン」という映画を何度も何度も観て、「こんな映画の登場人物に成りたい!」と思わせた張本人なのであった。
縁あって、これまでも何度かお世話にはなっているが、今回が初めてのメインキャスト。矢崎さんには照れくさくて言えないが、心はいつでも趙方豪!の心持ちで演じさせてもらっていた。これまた20年以上の時を経て、ようやく矢崎映画の住人になれたような気がする。
そしてまた今年は本当にそういう巡り合わせの一年なのかもしれない。
映画「貌斬り」同様、自主的なプロジェクトなので完成もまだしていないのだけれど、今年の秋の公開が内定しているようで、これは東京のみのお披露目になってしまうかもしれないのだけど、言うまでもなく積年の想いの詰まった短編になっているはずで、僕もまた完成の日が待ち遠しい。
Img_12a6f7c3bf4a351c05426447a79f2e7c
Img_7d51a364bf467dd974138915d3e479af
11月には窪田将治監督「D坂の殺人事件」で、再び明智小五郎を演らせてもらい、そしていよいよ、細野辰興監督との仕事が待っていた。
利重組、矢崎組、窪田組、そして細野組へと…。
ホップ、ステップ、ジャンプ!!ではないが、30代の締めくくりに至るこの一年の流れは決して悪くはなかったと思う。
正直、今の僕が関わる映画に、制作環境が整った映画なんて一本もない。大作と呼ばれるものも、あらかじめ全国公開が予定されているものもない。
豪華客船ではない、スタッフ、キャスト交えても10数人で乗り込んだ小さな船。
しかし、舵を取る人は「自分にしか創れない映画を創ろう!」そう旗を掲げ航海を続けていた。
誰かが書いた小説でもなく、漫画でもなく、誰かに頼まれた企画でもない、自分が観たい、自分が撮りたい、残したい、伝えたい物語がある。まだまだある。映画には、まだ映画でしか表現出来ないものがあるはず。きっとある。きっとあって、観客もそれを求めている。
たとえ難破船のような船となってしまっても何も諦めることはない、自ら漕いでいる実感だけはある。だから両の手足をばたつかせ、のたうち回り、風を読み、雨を除け、月明かりを頼りに、波止場を探す。そしていつだって一人ではない。映画は一人では作れない、作られない。
誰の為でもなく、自分もまた自分の意志で、この旅を続けたいのだろう。自分もまたこの小さな船と共に未開の地へと辿り着きたいのだ。古くさいとも、奇特な俳優と言われることもあるが、そんな現場を流浪する日々は過酷であれど、振り返ればいつだって楽しい。
スタッフだって本当に大変だ。自分だけでなく、それぞれの映画に関わるみんなが流浪の民のようにも思えてくる。映画に魅せられた、愛すれど哀しき流浪の民たち。
流浪の民たちの安息地はない。あるとすればあの劇場の、真っ暗闇の向こうにあるスクリーンという名の波止場だ。その波止場ですら定住することは許されない。映画館がまたひとつ、またふたつと消えていく現在では、その場はまるで桃源郷の領域だ。けれど行くんだ、進むんだ、舵を取るんだ!!

さぁいよいよ、細野丸が着岸する。さぁいよいよ、稽古が迫ってきている。
稽古が始まるその前に、稽古の為の準備に入らなければ———

Img_0e6ec37423becaee50151819d394af8b
この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
 (Click!) 
Img_c7f08c4992ee424744cd17ab123b953e
恋唄綴り

第三章 「わが心の高円寺」

4月16日。
今回の舞台「スタニスラフスキー探偵団」公演を行い、映画「貌斬り」の撮影もする予定の小屋の内覧をすると言うので高円寺に降り立つ。
ほぼほぼ細野辰興さんの中では決まっているようで、予算的なことも含め、他を探すことはないだろうと思っていたのだが、やはり自分の目でも確かめてみたくなった。

待ち合わせの時間よりだいぶ早く高円寺に着いたので、その懐かしい街並みを眺めながら、北へ北へと…野方の方まで歩いてみることにした。
実はこの西武新宿線の野方と言う街に、二年間近く住んでいたことがある。そしてその部屋から高円寺までも歩いて15分ほど。高円寺の駅の界隈にも幾つか思い出がある。
決して甘い思い出ではない。しかし、俳優としての自分の原点とでもいうべきか、青春と呼ばれた時期に、確かにこの地に、かつての僕はいたのである。
Img_f51a715cff26873912945a8e4e87713f
高校を卒業して、とにかく自立したかった。なので当然、一人で暮らしてみたくなった。貯金を封筒に突っ込んで不動産屋を巡ったのは18歳の春のこと。
隣町に友人が住んでいた。そのまた隣には、尊敬するRさんのお宅もあった。そんな訳もあって野方の駅から10分ほど、高円寺からだと徒歩15分のボロアパートに住むことにした。当時家賃3万円ほどの、当然のことながらの風呂なしだった。何故か銭湯暮らしに憧れた。いつかは風呂付きの部屋に。まるで浜田省吾の世界だが、スタートラインはあえて風呂なしに、自分なりのこだわりでもあった。
17歳のときに映画に魅せられたばかりに、俳優として新たなスタートを切りたいと、それまで所属していた児童劇団も辞め、フリーでオーディションに通っていた時期だった。映画「二十才の微熱」と「渚のシンドバット」のちょうど中間の時期だ。

記憶をたよりに、そのアパートのあった場所に行ってみた。周囲の建物などは見覚えがあったが、僕の住んでいたアパートは、既に壊されていたようだった。
変形した5、5帖の部屋。その台形のアパートは、当時の形を残したまま、一軒家に変わっていた。
窓を開けたまま眠ると、朝方ベットの下に気配を感じ、覗くと子猫が眠っていたこともある。夜中に耳を澄ますと階上の老婆のいびきが聞こえてくるような部屋でもあった。
眠っていたか、映画を観ていたか、本を読んでいた記憶しかない。いつも一人でいた部屋。

新しい事務所が決まり、朝ドラ「走らんか!」の仕事が内定し、大阪での撮影が始まる直前に解約した。大阪でのビジネスホテル暮らし、いつ入るかは解らないギャラ。いそいそ実家に舞い戻った。
20歳になろうとしていた頃だった。それから20年近くの時が経って、またこうして高円寺の駅を目指して歩いてく自分は、当時とあんまり変わってないような気もしてくるから不思議だった。
一緒に舞台をやらないか? そう言われ、吉祥寺に住む友人の家に行く為によくその道を通った。
一緒に脚本を書かないか? 西荻窪の友人の家にも何度か行った。その度、高円寺の駅を利用した。
一緒に映画をやらないか? 20年後の今日も、映画を創る人に会いに歩いている。
Img_ac6d1fe5a96264bf05ebfb70bf46859e
映画、映画、映画、時に演劇鑑賞の日々で、ビンボーながらも充実していた。
俳優としての仕事は、見事なくらいに成立しなかった。オーディションには見事な確率で落ちまくった。落ちまくりながらも、「次はやろうな」、「いつかやろうな」、そんな言葉に支えられ、涙こらえてまた映画を観る。映画館の暗闇に、アパートの暗がりに身を浸し、映画の中に自分の未来を探し出す、モラトリアムな日々…。
ある女の子と映画を観に行って、その映画の世界に没頭するあまり席から立ち上がれなくなり、「映画が観たいの? デートがしたいの? どっちなの?」と怒られたこともある。言わずもがな、まずは映画が観たかったのだ!デートはその後で、なんてことは彼女には言えなかったが…。
高円寺の駅前に、店名は忘れてしまったがマニアックなビデオばかり置いてくれているビデオ屋があって、そこで作家ごとにまとめて借りていった。ヴェンダース、ベネックス、ジャーッムシュ、スコセッシ、トリュホー、ゴダール……、邦画に関してもATG系のものから、当時のインディーズ系のものまで、なんでも揃っていた。その頃、そのビデオ屋があったであろうその場所を訪ねると、やはり古着屋に変わってしまっていた。残念だが仕方ない。ビデオはDVDに移行し、そのDVDだってこの先どうなるかはわからない。
100円で10分浴びれるコインシャワーはまだ残っていて、やはり高円寺だなとちょっと安心。庶民的な風情は至るところに残されていて総菜屋、定食屋、銭湯、公民館、レコード屋まで。尚かつ古着屋、喫茶店の充実には驚いてしまうほど。
もし、劇場が高円寺に決まり、稽古場が中央線沿線になるのならば、いっそ高円寺に引っ越してしまおうか?なんてこともチラっと思ってしまうほど、その裏通りの充実ぶりは魅惑的だった。
20年の時を経ての、高円寺との再会。もし本当にこの地での公演が決まればこれまたいろいろとご縁があるのかもしれない。
Img_044b57c6a3424692742a368ee2400c1a
いよいよ夕方、細野監督ほか、出演者と連れ立って、明石スタジオへ。
黄色い外装。住宅街の中にあるという立地。年月を経た味わいある楽屋、階段。そして重厚な扉。真っ黒い客席。縦に広くない正方形の、ちよっと狭いかな?という位の感じがとても好ましかった。
シアターというより小屋、スタジオという名称がピタッとはまる空間がそこにはあった。

なんら不満はなく、細野さんも手応えを感じてるようで、次回契約の運びになりそうだった。
帰り際、駅前の中華屋でビール、そして紹興酒。この中華屋、安くて美味く、公演中も、打ち上げまでもお世話になった店。細野さんに負けないほどの映画通、杉山さんも参戦。このお二人の会話は何かの映画の副音声で中継したりしたら面白いのではないだろうか? とにかくとめどない。
ひとしきり呑んだ後で、これだけは言っておこうと細野さんより、、、
黒澤明監督も好きだったという言葉…「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」やろうぜ!!

この言葉を、これから先、何度聞いたことだろう? そして、何度読み返したことだろう?

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」
この20年前の思い出の地、わが心の高円寺で、やってやろうじゃないの!! とは思うのだが、なにしろ稽古まではまだ半年以上もあるのだった。。。


回り道ばっかりでなかなか本題の稽古、公演中のことまで辿り着きませんが、これからも綴っていきますのでお付き合いください。
この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
 (Click!) 
Img_d2806f30d76ea0766dd5151630748302
恋唄綴り

第二章 「花見日和」

4月5日、細野さんに誘われ、映画評論家の古東久人さん主催の砧公園でのお花見に。
映画「貌斬り」並びに舞台「スタニスラフスキー探偵団」の顔合わせも兼ねていたので参加する。
大勢での花見など何年ぶりか?
今回、細野さんの企画を後押ししてくれたというプロデューサーの杉山さん、以前「アワ・ブリーフ・エタニティ」でもお世話になった配給会社「マコトヤ」の日下部さん、更によくよく顔を合わせる撮影の道川さん、初めて会った助監督の有馬くん。まだ正式決定はしてなかったキャストの面々。初演時にて共演した向山さん、和田さんなどなど…と、宴席を共にする。

とは言え、格好つける訳ではないのだが、こういう大勢での呑みの場が何故か苦手。克服しなければならないのかもしれないが…落ち着かない。前日は深夜まで撮影していた為、昼の酒は効きそうだ。必ず寝てしまいそうな予感もあったので控えめに呑もうと思っていた。
なので時々カメラを持ち出して、酔い醒ましも兼ねて散歩したりする。それにしても砧公園は驚くほど広い。酔った人、眠った人、楽しむ人、語らう人、人、人、人…。
Img_d49e45209348b9842df03e15cbb4ddec
Img_2a5774339cda9c5c62054c9a47b481db
やがて細野さんの日本映画学校当時の教え子でもある、僕と同い年の監督、窪田将治さんも合流。
誘う細野さんも、誘われてちゃんと顔を出す窪田さんも共に偉い、と何故か感心。
窪田さんは最新作「D坂の殺人事件」(今月14日より公開!!)を含め、かれこれここ数年で7本も仕事させてもらっている。明智小五郎、ヤクザ、カリスマ女装子、用務員、編集長、代議士、そしてまた明智小五郎と、幅広すぎる役柄を振って振って振りまくってくれるのでとても楽しい。おんなじ役所であったら互いに厭きてしまうのかもしれないが、次はどんな役で呼んでくれるのだろうかと内心いつも楽しみにしている。
細野さんとも三度目のお仕事。同じ監督にまた声を掛けてもらうというのは、俳優冥利に尽きるのだが、かといって甘えることも出来ない。仕事する回数が増えれば増えるほど、ハードルは確実に高くなるはずで、油断など出来ない。むしろ、初日の緊張度は増してくる。馴れ合うことなど出来ないはずだ。
窪田さんとは確かに撮影以外でも会うこともあるが、単なる友達だけではないし、お互いの成長を確認するバロメーターにもなる訳だし、そういう志の元で繋がっていけたらいいと思っている。

細野さんとの今回のタッグもそう。主演にしなければよかった、なんてことは必ず言わせたくない。
期待に応える、いや、むしろ期待を良い意味で裏切る、そういうところまでいかなければその次はないはずだ!いやいや、次のことなど考えてはいけない。一世一代の、一期一会、だ!
なんてことをも考えながら、夕方撤収し、駅前での二次会に突入。
ようやく自己紹介なんてものをしながらも、酔いながら考えることは、やはり芝居のことだったりする。大丈夫か?俺? まだ春。夏もある、秋もある、はず。時間はまだまだある、、、

映画「貌斬り」そして舞台「スタニスラフスキー探偵団」はもう既に花見の頃合いから、少しずつ、少しずつ、具体的に動き出していた。。。
Img_e44f8464fe33fbea7edf68f83570f304
この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
 (Click!) 
Img_791f67818d9ca6944502619d014122e3
恋唄綴り 

第一章 「39歳の誕生日」

2014年2月、二度の大雪が降ったその月に映画監督・細野辰興さんから連絡があり、しばらくぶりに横浜で会うこととなった。
細野さんとは、2010年の「スタニスラフスキー探偵団」初演時に初めてお会いした。
僕の所属する事務所の社長に紹介され、年齢的には全く無理のある往年の大スター、馳一夫を老け役で演ることになったのだが、稽古期間が約二ヶ月…楽しくも大変な日々だった。
翌年、映画「私の叔父さん」にもオファーをくださり、高橋克典さんの旧友役として出演しつつ、僕の撮った写真を劇中で使ってもくださった。
以来、ちょくちょく横浜でデート(!?)させてもらっている。
本当に、映画のことを愛している人で、過去の現場の話や、観てきた映画の話をすると際限がない。パワフルで、エネルギッシュで、実は僕の父とそう年齢は変わりはないのだが、一緒に呑んでいるとこちらまで高揚してしまう。

「話がある」ということだったが、「何か食べよう」ということでもあったので、僕の行きつけの炭火焼肉のお店のカウンターに入った。
近況報告のあと、まさかまさかとは思ったが、あの「スタニスラフスキー探偵団」の再演の話と、またその上演中を映画として記録すること、更にバックステージを映画にするという企画を聞かされた。もちろん制作会社がある訳でもなく、多くのスポンサーがいる訳でもない。前回同様、自主的な公演であり、また自主的な映画でもある。
呑気に「細野さんいよいよ勝負に出るなぁ」と話を聞きながら、美味しくホルモンをつまんでいたら、
「で、その舞台の風間役を、そして映画の主演をやってみないか?」と言われた。
走馬灯のように、初演時の風間役のことが頭をよぎる。情熱的な映画監督役、饒舌な、圧倒的な台詞量。ほとんど舞台から消えることのない正真正銘の主役。ご存知のように、舞台経験はほとんどない自分。
やれるか? やっていいのか? やらなくていいのか? やりたいのか? やるか? やらずに死ねるか? 束の間だけど、実際そこまで考えた。考えたが、「やります。お願いします。」そう言ってた。
Img_9065e631b9628c446dc38992e8a01cef
俳優としての自分を見失っている時期でもあった。40代を前にしてこれからどこへ進めばよいのか?暗中模索…。手応えのない時期でもあった。そういう時期は過去にも何度かあって、あえて一年近く仕事をしなかったこともある。なんとなくの思いで、惰性で続けていけるほど俳優の世界は甘くない。

熱く、そして重く、これから撮ろうとする映画のことを語る細野さんの横で、いろいろなことを考えていた。これまでのこと。これからのこと。現状に満足などは出来ていなかった。それだけに、他の仕事が出来なくても構わない。この作品に一年を捧げるつもりで挑戦してみよう。
まぎれもなく、30代最後の大舞台となる。40歳を前に大きな変化、刺激を欲する自分にとっては願ってもいない機会となるはずだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは単なる仕事ではなく、やらねばならない修羅場だ。
「この役を引き受けるのに、今までの僕はいらないですね。」
そう言うと、細野さんは嬉しそうに微笑んだ。

細野さんは知らなかったようだが、その日は2月26日。僕の39歳の誕生日だった。
出演依頼は、異才映画監督、細野辰興らしいサプライズなプレゼントで、また俳優・草野康太への果たし状、挑戦状でもあると思った。
Img_7f714fe9031d6a43b4c5efd5e475b7de
ほろ酔いで帰宅する細野さんを関内の駅で見送り、細野さんと行ったこともあるBARに寄り、少し気持ちを落ち着かせてから家に帰り、初演の台本を引っ張りだした。
それは稽古の終盤に、細かな修正を加えてから書き直された最終稿で、だから全く汚れてないものだった。まるで再演を予感してたようなまっさらな台本を前にすると不思議な因縁すら感じてしまった。
冒頭の長台詞を声に出して読んでみる。それだけで一苦労…。
初演の風間役のイメージを捨て、自分なりの、新たな風間像を構築しなければならない。いや、草野康太さえ捨て去るのだ。時間はまだまだたっぷりとある。

2月26日、僕の誕生日は気付くとすっかり終わっていた。。。(つづく)

この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
 (Click!) 
Img_7018d436105c176592b12e71781ce6ef
「恋唄綴り」

序章 「恋唄を聴きながら」

戯曲「スタニスラフスキー探偵団」よりー「貌斬り KAOKIRI」
の舞台8公演、並びに映画部分の撮影を終え、一週間が過ぎた。
年を挟んでの約2ヶ月、28日間の稽古期間、そして本番、撮影を加えた54日間、ずっとずっとこの作品のことだけを考えてきた。
大袈裟でなく、夢の中でも芝居をしていたこともある。休みの日も、一人でじっくり稽古出来る、一人で役について考えることが出来る、身体は休むが思考は舞台モード、そんな日々だった。

そんな訳で、ここんところは毎晩、思う存分、酒を呑ませていただいている。明日、台詞が吹っ飛んでも構わないのだ。声が酒に焼かれていても問題ない。こんなに気楽なことはないではないか!?
差し入れで頂いた日本酒やら焼酎を、有り難くもちびりちびりと飲りながら、疲労し、格闘し、興奮した時間を消毒するように呑んでいる。時に、舞台のテーマソングとなった「恋唄」なんぞを聴きながら…。
しかし何故かこれがいっこうに酔わない、むしろ頭が冴えてきて、いろんなことを思い出す。そして眠れなくなる。眠れていないのにすこぶる元気、ジム通いを再開する有様。
明日は今後の仕事の打ち合わせ、2月頭には新しい仕事も控えている(脚本が遅れてるみたいだが…)。だから、気持ちはしっかり切り替わることが出来るはずだ。
だけど不意にこの一年のことを、この映画、舞台のことを、何かしらの形にして残しておきたい。そんな気持ちが芽生えたので、すっかりお蔵入りになってしまった撮りためた写真と共に、マイペースに綴りたいと思うようになった。

映画「貌斬り」は既に編集に入ったという。ここから先は監督のもの。舞台が始まれば演出家は芝居に介入することが出来ない。それと同じで、映画の編集に入れば出演者は介入出来ない。
上手な演技をしようと思って、舞台に立った日は一日もない。そうではない、もっと別な試みを持って、もっと別な企みを秘めて8回に及ぶ公演に臨んだ。そしてその全てが映像に刻まれているはず。なので勿論、修正は出来ない。撮り直しも出来ない。下手をした場面はそのままに、あるがまま、ありのままが映っているはず。滅多に観れないものが、そこには確実に映されているはず。なので完成された映画を、何より僕自身が一番楽しみにしている。

そして願わくば、その完成された映画を、劇場では観ることが叶わなかった人に、そして舞台を観てくれ、更に映画を観たいと思っている人に、とにかく一人でも多くの人に観てもらえたらと思っている。その時はまたあの暗闇の中、映画館のスクリーンでだ。DVDになる確証もない。いや、あの暗闇の中にでこそ観てもらいたい! 是非に!!
クラウドファンディングで出資を募っているのもその思いから。
映画監督が、創りたい映画をオリジナルで創ることが本当に難しい時代になってしまった。そしてそんな映画に関わりたいと思う俳優の自分にとっても、映画との関わりがとても難しくなってきてしまった。それでも初志は変わらない。映画監督のオリジナル作品に、僕は一本でも多く参加したい。
映画に魅せられた十代の頃、その頃に魅せられた監督たちと今、仕事をしている。共に映画を創っている。その実感が誇りであり、これからへの原動力ともなってくれている。特に昨年はそういう一年でもあったと思う。

この「貌斬り」は、細野辰興という映画監督が、「これを撮りたい」「これを創りたい」と切望し、そしてまた僕自身が「それを演りたい」「それを演り遂げたい」と奮い立ったところからスタートした映画でもあります。
モーションギャラリーサイトで、細野さんが「不届きな企画」と語っているけれど、草野康太が主演すること自体も、不届きな企画、試みなんです。だからそれに応えたい、成功させたいという思いだけの日々でもありました。
その挑戦に終わりはなく、まさにこれからが始まり、映画の完成と、映画がどのようにお披露目され、お届けされていくのか? それを見届けるのも、主演を課せられた自分の義務、命題!だとも思ってます。
だから余計に、何かを語りたくなるのかもしれないけれど、映画監督、風間重兵衛役を経た今はタブーを語ってもダメージもへったくれもないような気もしています。

そもそもの始まりは、昨年2014年の2月のこと、、、
序章があまりに長くなってしまたので続きはまた後日(いつになるか解らないが、クラウドファンディング終了までには完結させる予定です)。よかったら、下記のクリックとあるこのサイトと共に、今後ともお付き合いください。。。
 (Click!) 
Img_ae51e25d6bb8d83c5690f5f4cecee6fb
2011 3 11 東京

3年前のあの日、高層ビルの一室から撮った一枚。

たぶんこの日のことは、生涯忘れられないだろうと思う。

凍てついた夜。震源地の東北のことなんて知らぬまま、ひたすら家路を急いだ。
止まった電車、渋滞する車の隙間を縫いながら、横浜を目指し歩いた。
人気のないコンビニ、停電した街灯、鳴らない携帯電話、寡黙な帰宅難民。

被災地東北の現状なんて知らぬまま、ただただ家を目指して歩いていた。
時計はてっぺんを越え、ようやくたどり着いた家で、それこそようやく現状を知った。

言葉を失くした…


それは今も同じ。
言葉ではなく、、、

3.11 追悼の日。
Img_a3cca2bffff6d9ca24cea5d6c319a344
たまには「人」を、たまには「顔」を撮りたいと思い、
相模原に住んでいる祖父母の元へ…。
というのも、祖父がこのたび「瑞宝双光章」なる高齢者叙勲を受けたため。

プレゼントでも、お祝いの言葉でもなく、写真を撮って贈りたい。
そう思って撮った一枚。

会うのも、話すのも久しぶりで、なんとも妙に照れくさく、
帰りは祖父の運転(!?)で、駅まで送ってもらった。

この一枚の写真が、僕と祖父母の今の距離…なのだなぁ…と、撮影者は思う。
祖父と祖母の距離は、操作するまでもなく絶妙だとも。
Img_57d8163b28b6e34a63800cfe8d93faa6
故郷、というものは遠くなければいけないのだろうか?

生まれは神奈川、育ちも神奈川。現在も神奈川に住む。
たぶん、東京都に住むことはないような気がする。頑なに。

毎日のように川を越える。
ほんの15分、ほんの30分の時間が、僕には必要で、その川を越えた先にあるのが「故郷」なのだとしたら、僕の「故郷」はまさしく神奈川、そしてヨコハマ。

昨年に引き続き、今年もまた僕の「故郷」、ヨコハマで、僕の出演した映画が上映される。
呼ばれようが、呼ばれなかろうが、僕はその度、顔を出す。

我が地元、ホームタウン、唯一の映画館? ではないけれど、馴染みの小屋。

一年振り、今年もまた横浜・ジャック&ベティにて「僕の中のオトコの娘」上映されます!!
Img_35374dbd8e9ace2312e30178774b98de
Img_cf6b0aa4919ae87858c2a6fd239350a9
Img_1ac36ed55cec6f6c755ecf2674f034f8
Img_d58f25fa4bbaa1a291611e3e8b3a27c7
Img_590d3a2154c56f8f0d8034553ce44f4e
Img_9bdf3c826595d8743c5d1c134a122df5
心はいつも青信号で。。。

もう間もなく38歳! 突き進みたいです。。。