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恋唄綴り

第二章 「花見日和」

4月5日、細野さんに誘われ、映画評論家の古東久人さん主催の砧公園でのお花見に。
映画「貌斬り」並びに舞台「スタニスラフスキー探偵団」の顔合わせも兼ねていたので参加する。
大勢での花見など何年ぶりか?
今回、細野さんの企画を後押ししてくれたというプロデューサーの杉山さん、以前「アワ・ブリーフ・エタニティ」でもお世話になった配給会社「マコトヤ」の日下部さん、更によくよく顔を合わせる撮影の道川さん、初めて会った助監督の有馬くん。まだ正式決定はしてなかったキャストの面々。初演時にて共演した向山さん、和田さんなどなど…と、宴席を共にする。

とは言え、格好つける訳ではないのだが、こういう大勢での呑みの場が何故か苦手。克服しなければならないのかもしれないが…落ち着かない。前日は深夜まで撮影していた為、昼の酒は効きそうだ。必ず寝てしまいそうな予感もあったので控えめに呑もうと思っていた。
なので時々カメラを持ち出して、酔い醒ましも兼ねて散歩したりする。それにしても砧公園は驚くほど広い。酔った人、眠った人、楽しむ人、語らう人、人、人、人…。
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やがて細野さんの日本映画学校当時の教え子でもある、僕と同い年の監督、窪田将治さんも合流。
誘う細野さんも、誘われてちゃんと顔を出す窪田さんも共に偉い、と何故か感心。
窪田さんは最新作「D坂の殺人事件」(今月14日より公開!!)を含め、かれこれここ数年で7本も仕事させてもらっている。明智小五郎、ヤクザ、カリスマ女装子、用務員、編集長、代議士、そしてまた明智小五郎と、幅広すぎる役柄を振って振って振りまくってくれるのでとても楽しい。おんなじ役所であったら互いに厭きてしまうのかもしれないが、次はどんな役で呼んでくれるのだろうかと内心いつも楽しみにしている。
細野さんとも三度目のお仕事。同じ監督にまた声を掛けてもらうというのは、俳優冥利に尽きるのだが、かといって甘えることも出来ない。仕事する回数が増えれば増えるほど、ハードルは確実に高くなるはずで、油断など出来ない。むしろ、初日の緊張度は増してくる。馴れ合うことなど出来ないはずだ。
窪田さんとは確かに撮影以外でも会うこともあるが、単なる友達だけではないし、お互いの成長を確認するバロメーターにもなる訳だし、そういう志の元で繋がっていけたらいいと思っている。

細野さんとの今回のタッグもそう。主演にしなければよかった、なんてことは必ず言わせたくない。
期待に応える、いや、むしろ期待を良い意味で裏切る、そういうところまでいかなければその次はないはずだ!いやいや、次のことなど考えてはいけない。一世一代の、一期一会、だ!
なんてことをも考えながら、夕方撤収し、駅前での二次会に突入。
ようやく自己紹介なんてものをしながらも、酔いながら考えることは、やはり芝居のことだったりする。大丈夫か?俺? まだ春。夏もある、秋もある、はず。時間はまだまだある、、、

映画「貌斬り」そして舞台「スタニスラフスキー探偵団」はもう既に花見の頃合いから、少しずつ、少しずつ、具体的に動き出していた。。。
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この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。
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恋唄綴り

第三章 「わが心の高円寺」

4月16日。
今回の舞台「スタニスラフスキー探偵団」公演を行い、映画「貌斬り」の撮影もする予定の小屋の内覧をすると言うので高円寺に降り立つ。
ほぼほぼ細野辰興さんの中では決まっているようで、予算的なことも含め、他を探すことはないだろうと思っていたのだが、やはり自分の目でも確かめてみたくなった。

待ち合わせの時間よりだいぶ早く高円寺に着いたので、その懐かしい街並みを眺めながら、北へ北へと…野方の方まで歩いてみることにした。
実はこの西武新宿線の野方と言う街に、二年間近く住んでいたことがある。そしてその部屋から高円寺までも歩いて15分ほど。高円寺の駅の界隈にも幾つか思い出がある。
決して甘い思い出ではない。しかし、俳優としての自分の原点とでもいうべきか、青春と呼ばれた時期に、確かにこの地に、かつての僕はいたのである。
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高校を卒業して、とにかく自立したかった。なので当然、一人で暮らしてみたくなった。貯金を封筒に突っ込んで不動産屋を巡ったのは18歳の春のこと。
隣町に友人が住んでいた。そのまた隣には、尊敬するRさんのお宅もあった。そんな訳もあって野方の駅から10分ほど、高円寺からだと徒歩15分のボロアパートに住むことにした。当時家賃3万円ほどの、当然のことながらの風呂なしだった。何故か銭湯暮らしに憧れた。いつかは風呂付きの部屋に。まるで浜田省吾の世界だが、スタートラインはあえて風呂なしに、自分なりのこだわりでもあった。
17歳のときに映画に魅せられたばかりに、俳優として新たなスタートを切りたいと、それまで所属していた児童劇団も辞め、フリーでオーディションに通っていた時期だった。映画「二十才の微熱」と「渚のシンドバット」のちょうど中間の時期だ。

記憶をたよりに、そのアパートのあった場所に行ってみた。周囲の建物などは見覚えがあったが、僕の住んでいたアパートは、既に壊されていたようだった。
変形した5、5帖の部屋。その台形のアパートは、当時の形を残したまま、一軒家に変わっていた。
窓を開けたまま眠ると、朝方ベットの下に気配を感じ、覗くと子猫が眠っていたこともある。夜中に耳を澄ますと階上の老婆のいびきが聞こえてくるような部屋でもあった。
眠っていたか、映画を観ていたか、本を読んでいた記憶しかない。いつも一人でいた部屋。

新しい事務所が決まり、朝ドラ「走らんか!」の仕事が内定し、大阪での撮影が始まる直前に解約した。大阪でのビジネスホテル暮らし、いつ入るかは解らないギャラ。いそいそ実家に舞い戻った。
20歳になろうとしていた頃だった。それから20年近くの時が経って、またこうして高円寺の駅を目指して歩いてく自分は、当時とあんまり変わってないような気もしてくるから不思議だった。
一緒に舞台をやらないか? そう言われ、吉祥寺に住む友人の家に行く為によくその道を通った。
一緒に脚本を書かないか? 西荻窪の友人の家にも何度か行った。その度、高円寺の駅を利用した。
一緒に映画をやらないか? 20年後の今日も、映画を創る人に会いに歩いている。
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映画、映画、映画、時に演劇鑑賞の日々で、ビンボーながらも充実していた。
俳優としての仕事は、見事なくらいに成立しなかった。オーディションには見事な確率で落ちまくった。落ちまくりながらも、「次はやろうな」、「いつかやろうな」、そんな言葉に支えられ、涙こらえてまた映画を観る。映画館の暗闇に、アパートの暗がりに身を浸し、映画の中に自分の未来を探し出す、モラトリアムな日々…。
ある女の子と映画を観に行って、その映画の世界に没頭するあまり席から立ち上がれなくなり、「映画が観たいの? デートがしたいの? どっちなの?」と怒られたこともある。言わずもがな、まずは映画が観たかったのだ!デートはその後で、なんてことは彼女には言えなかったが…。
高円寺の駅前に、店名は忘れてしまったがマニアックなビデオばかり置いてくれているビデオ屋があって、そこで作家ごとにまとめて借りていった。ヴェンダース、ベネックス、ジャーッムシュ、スコセッシ、トリュホー、ゴダール……、邦画に関してもATG系のものから、当時のインディーズ系のものまで、なんでも揃っていた。その頃、そのビデオ屋があったであろうその場所を訪ねると、やはり古着屋に変わってしまっていた。残念だが仕方ない。ビデオはDVDに移行し、そのDVDだってこの先どうなるかはわからない。
100円で10分浴びれるコインシャワーはまだ残っていて、やはり高円寺だなとちょっと安心。庶民的な風情は至るところに残されていて総菜屋、定食屋、銭湯、公民館、レコード屋まで。尚かつ古着屋、喫茶店の充実には驚いてしまうほど。
もし、劇場が高円寺に決まり、稽古場が中央線沿線になるのならば、いっそ高円寺に引っ越してしまおうか?なんてこともチラっと思ってしまうほど、その裏通りの充実ぶりは魅惑的だった。
20年の時を経ての、高円寺との再会。もし本当にこの地での公演が決まればこれまたいろいろとご縁があるのかもしれない。
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いよいよ夕方、細野監督ほか、出演者と連れ立って、明石スタジオへ。
黄色い外装。住宅街の中にあるという立地。年月を経た味わいある楽屋、階段。そして重厚な扉。真っ黒い客席。縦に広くない正方形の、ちよっと狭いかな?という位の感じがとても好ましかった。
シアターというより小屋、スタジオという名称がピタッとはまる空間がそこにはあった。

なんら不満はなく、細野さんも手応えを感じてるようで、次回契約の運びになりそうだった。
帰り際、駅前の中華屋でビール、そして紹興酒。この中華屋、安くて美味く、公演中も、打ち上げまでもお世話になった店。細野さんに負けないほどの映画通、杉山さんも参戦。このお二人の会話は何かの映画の副音声で中継したりしたら面白いのではないだろうか? とにかくとめどない。
ひとしきり呑んだ後で、これだけは言っておこうと細野さんより、、、
黒澤明監督も好きだったという言葉…「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」やろうぜ!!

この言葉を、これから先、何度聞いたことだろう? そして、何度読み返したことだろう?

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」
この20年前の思い出の地、わが心の高円寺で、やってやろうじゃないの!! とは思うのだが、なにしろ稽古まではまだ半年以上もあるのだった。。。


回り道ばっかりでなかなか本題の稽古、公演中のことまで辿り着きませんが、これからも綴っていきますのでお付き合いください。
この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
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恋唄綴り

第四章 「流浪の民」

2014年、39歳の誕生日に細野辰興さんからの出演依頼を頂いたその一年は、「スタニスラフスキー探偵団」稽古開始の間までにも意義深い仕事の続く一年となった。
舞台のこと、映画「貌斬り」のことは絶えず心の片隅にはあった。あったけれど、他の撮影の時だけは封印した。片手間で読めるような戯曲ではなかった。本を開いたら忽ちに、2時間の漂流が始まって、還れなくなってしまう。読む時は心して…覚える時は集中して…そう思っていた。

7月。利重剛監督が横浜だけを舞台に短編を綴る「Life works」の一篇「雨の車内で」に出演。
登場人物は二人だけ。雨の降る日本大通りに車を停めた男と女の、エッセイ風な小品である。
撮影は一日のみだったが、前年の秋から始まった「Life woks studio」のメンバーにもなっていたので、月に数回、中華街のリノベーションされたビルの屋上にあるスタジオに通った。
俳優としても活躍されている利重さんを頼って集まった俳優同士で、既存の台本を通して演技をしたり、時にエチュードをしたり、また撮影してみたり。演技経験のない俳優志望の為のワークショップではなく、ちょっと仕事に間が出来てしまった俳優達がいつでも撮影に臨めるようにチューンナップ、鍛錬するような場所にしたいというのが、利重さんの目論みでもあった。
今回出演した「雨の車内で」も相手役を変えたりして何度か演じたことのある題材で、連作短編「Life works」はこのスタジオと連動するような形で生まれ、当然スタジオのメンバーも出演者として名を連ねている。

利重さんに初めて会ったのも10代の終わり。
映画「エレファントソング」の脚本を当時から親交のあった御法川修さんが書いていたのが縁だった。実はこの「エレファントソング」のクレジットに、「協力」のところで僕の名前がクレジットされている。
御法川さんが脚本を書くにあたって、当時としては珍しく僕がワープロを所有していた為に、彼の紡いだ文章をワープロで打っただけにすぎないのに、あえて協力者として名前を載せてくれたのだ。映画を観たとき、出演は叶わなかったが素直に嬉しかった。そして、いつかは出演者として…。その願いは20年近く経ってようやく実現したことになる。

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俳優としての表記以外に、僕は映画のクレジットにこれまで3回登場している。
1本目がその「エレファントソング」、そして橋口亮輔監督の「サンライズ・サンセット」にも。これは衣裳協力として。そしてまた細野辰興監督作品「私の叔父さん」。これは劇中に登場する写真を提供した関係で。
どれもこれも、俳優としてではなくただ一人の人間として、少しは映画創りに貢献できたのかな?と、出演した時とは異なる独特な満足感がある。
映画「貌斬り」もまた、クラウドファウンディングに賛同してもらえたら映画のクレジットに表記されるという特典がある。まだ見ぬ映画に対しての支援。それだけで充分すぎるくらい映画に貢献していただいてるのだから当然のこととも言えるが、映画のクレジットタイトルに名前が載ることの感動は、体験してみないとわからない類いのもだと思う。
舞台を観て感動した。完成した映画を是非、映画館で観てみたい。また草野康太の主演作を全国に届けたい等々…。動機はなんでも構わないのです。この場を借りまして、良かったらご検討ください。
映画「貌斬り」のクラウドファウンディングはこちらから→ (Click!) 
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連作短編「Life woks」はすでに8本ほどの撮影を終え、年明けからは横浜のジャック&ベティ、また新装リニューアルされたばかりのシネマリンでの上映が始まっている。撮影は一話につき一日、もしくは二日なので、利重組由縁の蒼々たるスタッフが集まり贅沢な一日となる。
利重監督の人柄もあるだろうが、「一日くらいなら都合つけて応援行きましょう!」という感覚で映画愛に溢れたスタッフ達が、撮影そのものを楽しんでいる。俳優だけでなく、スタッフもまた自由で刺激的な創造の場を求めているに違いないのだ。
プロデューサーは「ヨコハマメリー」の中村高寛さん。ヨコハマ繋がりで出会った方々とようやくお仕事出来たことも嬉しかった。僕の出演作「雨の車内で」は恐らく4月から、これまた無料上映という形でお届けするのも新たな試みで、正直、無料では勿体ないくらいのクオリティーなのだが、それを上映する映画館も、地元で作られる映画に協力的なのだった。
出演は済んでしまったが、地元ヨコハマの体験的映画作りにこれからもなんらかの形で関わり続けていけたらと思う。
映画「Life works」のホームページはこちらから→  (Click!) 
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8月に入ると矢崎仁司監督作品「× × ×(キス キス キス)」の撮影が始まった。とは言え、これもようやく撮影にこぎつけたといった感じで、矢崎さんとはその前年から「こんな感じのを一緒にやりましょう」と言われていたものが、春予定の撮影が延期になり、台本はいつになっても読めずじまいで、とにかくドタバタ続きの撮影になりそうな予感だけはしていた。
この作品も短編集。僕はその中の一篇「いつかの果て果て」という作品に出演することとなったのだが…。予感は的中を越え、予想を遥かに上回る大変な撮影になってしまった。
山梨入りしたその日の撮影が、いろいろ問題あって1シーンも撮れず、翌日からは台風が接近してまた撮れそうもない。夜を待ちながら、また雨音を聞きながら、粛々とクランクインの瞬間を待った。
全編夜の撮影ということで、昼にはたっぷりリハーサルも出来たし、衣装合わせは連日行われた。「画が見えてこない…」映像派の矢崎さんには、矢崎さんにしか見えてこない画(映像)がある。だから何度も着替え、着替えては裸になり、その度、自分が演じる役について考えさせられた。
台風が通り過ぎていった夜、スタッフルームも兼ねていた矢崎さんの実家の離れで、矢崎さんが観てきたであろう映画のパッケージを見ながら酒を呑んでいた。壁中びっしりと、映画のタイトルが並んでいた。まるで映画史のような部屋で過ごし、とてつもなく映画的な時間を過ごしていることだけは実感出来るのだが、まだなんにもしていない自分はこのままでいいのだろうか? 果たして役を掴めているのだろうか? 果たして本当に撮影は行われるのか? 悶々としながら、大型台風が日本海に通り過ぎて行くのを待っていた。
翌朝は快晴だったが、撮影を予定していた河原が氾濫していたので、映画はロケハンからやり直さなければいけないとのことで中止が決まった。
つまり、1シーンも撮ってはいなかったのだ!?

仕切り直しは9月になって、これを逃すと季節的にももう撮れないという危機感をみんなが感じつつ、夜を徹しての4日間があっという間に過ぎた。
昼はただただ死んだように眠り、夕方から次の日の朝まで、スタッフ、キャスト、皆がまるで夜行性のフクロウのようになって、南アルプスの麓で映画の為だけに生きた4日間だった。
朝と昼と夕を兼ねたスタッフ手作りの食事を卓を囲んでたいらげては、夜中は小さなおにぎりとサンドイッチを食い繫いで日の出の時刻まで闘った。おにぎりという食物が、こんなに美味しいと思ったことはない。「今日は豪勢にカップラーメンを夜食にしよう」と、最終日は大量のカップラーメンが現場にあったのにも関わらず、それも食べることさえ忘れ、まさしく夜明けと共にクランクアップ。
夜は長い、いやいや、夜は短い。女と男と少女が過ごすひと夏の夜「いつかの果て果て」。現場を経て、なるほど良いタイトルだと気に入っている。

結局何分の作品になるかは解らないが、とにかく濃密すぎる4日間だった。
「これに懲りずに、またやりましょう!」と矢崎さんが言ってくれていたが、この矢崎仁司さんこそ、僕が17歳の時に今はなき新宿のシアタートップスという芝居小屋で「三月のライオン」という映画を何度も何度も観て、「こんな映画の登場人物に成りたい!」と思わせた張本人なのであった。
縁あって、これまでも何度かお世話にはなっているが、今回が初めてのメインキャスト。矢崎さんには照れくさくて言えないが、心はいつでも趙方豪!の心持ちで演じさせてもらっていた。これまた20年以上の時を経て、ようやく矢崎映画の住人になれたような気がする。
そしてまた今年は本当にそういう巡り合わせの一年なのかもしれない。
映画「貌斬り」同様、自主的なプロジェクトなので完成もまだしていないのだけれど、今年の秋の公開が内定しているようで、これは東京のみのお披露目になってしまうかもしれないのだけど、言うまでもなく積年の想いの詰まった短編になっているはずで、僕もまた完成の日が待ち遠しい。
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11月には窪田将治監督「D坂の殺人事件」で、再び明智小五郎を演らせてもらい、そしていよいよ、細野辰興監督との仕事が待っていた。
利重組、矢崎組、窪田組、そして細野組へと…。
ホップ、ステップ、ジャンプ!!ではないが、30代の締めくくりに至るこの一年の流れは決して悪くはなかったと思う。
正直、今の僕が関わる映画に、制作環境が整った映画なんて一本もない。大作と呼ばれるものも、あらかじめ全国公開が予定されているものもない。
豪華客船ではない、スタッフ、キャスト交えても10数人で乗り込んだ小さな船。
しかし、舵を取る人は「自分にしか創れない映画を創ろう!」そう旗を掲げ航海を続けていた。
誰かが書いた小説でもなく、漫画でもなく、誰かに頼まれた企画でもない、自分が観たい、自分が撮りたい、残したい、伝えたい物語がある。まだまだある。映画には、まだ映画でしか表現出来ないものがあるはず。きっとある。きっとあって、観客もそれを求めている。
たとえ難破船のような船となってしまっても何も諦めることはない、自ら漕いでいる実感だけはある。だから両の手足をばたつかせ、のたうち回り、風を読み、雨を除け、月明かりを頼りに、波止場を探す。そしていつだって一人ではない。映画は一人では作れない、作られない。
誰の為でもなく、自分もまた自分の意志で、この旅を続けたいのだろう。自分もまたこの小さな船と共に未開の地へと辿り着きたいのだ。古くさいとも、奇特な俳優と言われることもあるが、そんな現場を流浪する日々は過酷であれど、振り返ればいつだって楽しい。
スタッフだって本当に大変だ。自分だけでなく、それぞれの映画に関わるみんなが流浪の民のようにも思えてくる。映画に魅せられた、愛すれど哀しき流浪の民たち。
流浪の民たちの安息地はない。あるとすればあの劇場の、真っ暗闇の向こうにあるスクリーンという名の波止場だ。その波止場ですら定住することは許されない。映画館がまたひとつ、またふたつと消えていく現在では、その場はまるで桃源郷の領域だ。けれど行くんだ、進むんだ、舵を取るんだ!!

さぁいよいよ、細野丸が着岸する。さぁいよいよ、稽古が迫ってきている。
稽古が始まるその前に、稽古の為の準備に入らなければ———

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この文章は、完成した映画を、映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
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恋唄綴り

第五章 「俳優のノート」

ただっ広いカラオケBOXの一室に、私服の役所広司さんが入って来て、嬉々としながら選曲を始める。どうやら役所さんはカラオケが相当お好きなようだ。そんな役所さんとこんな広いスペースでカラオケ出来るなんて、今日はなんて幸福な一日だろう…。というより、自分は何を歌えばいいんだろう!?
しばらくすると役所さんの携帯電話が鳴り、「よしっわかった! 今から行く!」役所さんは急に怖い顔になり、「山崎努さんが向かいのカラオケBOXに入ったそうだ」ニヤリ笑ってそう言うと、薄いジャケットの中からドスを抜き出し、「さぁ康太、行くぞ!!」役所さんは全身狂気を身にまとい、カラオケBOXの裏手の非常階段をカンカンカンと音をたて駆け下りて行く。その背中を必死で追いかけた所で、どこか遠くからアラーム音が聞こえて来た…。

と、つい最近こんな夢を見た。
この「恋唄綴り」でいずれは役所広司さんのことを書かなければと思っていたこともあるのだろうし、また山崎努さんの書かれた「俳優のノート」にも触れなければいけない。そしてカラオケBOXでの自主稽古のことも…。そんな思いがあってのこの夢には違いないのだが、ドスを持って階段を駆け下りて行く役所広司さんは、まさしく細野辰興監督作品「しのいだれ」もしくは「シャブ極道」の頃の役所さんで、今回の僕のチャレンジは、その当時の役所広司さんの影をいつもいつも追いかけていたような気がする。
細野監督の代表作でもあり、また役所広司さんの代表作でもある「シャブ極道」が撮影された時、役所さんは今現在の僕と同じ39歳であったそうだ。
そのことを細野さんに伝え聞いてからは、いつもそのことを意識していたし、それはプレッシャーにも、またモチベーションにもなった。
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山崎努さんの「俳優のノート」を読んだのは、「スタニスラフスキー探偵団」初演の頃だったか?
一人の俳優が、ひとつの芝居(リア王)、ひとつの役の為に準備、稽古、そして本番までに至る過程を日記形式で綴ったこの本は、文庫の解説で香川照之さんが書かれているように、俳優の「教科書」とも呼べる本で、自分がまたこうして舞台をやると決めた時から、何度となく再読していた。
そして気になった、もしくは気に入った言葉は、戯曲「スタニスラフスキー探偵団」の裏のページに書き込んだりもした。
キンコーズで製本した自己流な台本を見開きにせず、あえて片面印刷にしたのはそういう理由もあった。日記を書くような時間も余裕もないかもしれないが「メモ」くらいは出来るだろうし、することにもなるだろう。だから白紙を、なるべく余白を多くしたかった。
そのぶん厚みが増す懸念もあったが、ページをめくる手が汚れたり汗ばんでいたりして、台本がどんどん薄汚れて、また分厚くなっていく様も、舞台特有というか、嫌いではないのだった。

山崎努さんが「俳優のノート」で綴っている文章を参考にすると「リア王」の稽古開始は12月1日。その稽古が始まる前の準備に取りかかる日記がスタートするのは7月。
ほぼほぼ「スタニスラフスキー探偵団」と同じスケジュールなので、台詞を入れていくタイミング、努力、また役を構築していく経過、思索などは本当に参考になった。
こちらの稽古開始は、11月28日。公演初日は年を挟んでの1月8日。
稽古初日には、ほぼほぼ台詞を入れておこうと決めていた。本読みで始まろうが関係ない、立ち稽古が始まるタイミングには、台詞は入れておかなければいけない。そうでなければ間に合わない。片手に台本持ったまま、稽古出来るような芝居でないことは、初演の稽古を見ていたので知っていた。
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9月9日 
ポスター撮り。久しぶりに山田キヌヲちゃんに会う。彼女が一緒に闘ってくれるということもなんとも心強く、今回の挑戦を決めるにあたっての後押しをしてくれた。金子鈴幸君ら、初対面のメンバーにも会う。助監督役、綾部に決まった森谷勇太は今日が誕生日。細野さん達と焼き鳥を食べながら祝す。彼が夏のワークショップを経て、正式に役を獲得してくれて本当に良かったと思う。初演時のメンバー、円山役の向山さんと三人で、近々自主稽古を行おうと計画する。

9月17日
新宿三丁目のカラオケBOXにて自主稽古。実はその前にも、向山さんには個別レッスンをお願いした。普段はナレーションを主戦場にしている向山さんに、発声や滑舌の基礎を学ばせてもらった。短い時間ではあったものの、「喉を温める」みたいなエクササイズですら、未学習のまま俳優を続けてしまったのだなぁと痛感する。ちょこっとだけボクシングジムに通ったとき、延々とシャドーボクシングを続けたことを思い出す。基礎こそ大事。継続は力なり。
この日は、冒頭の10分ほどの、三人だけが登場する冒頭のシーンを重点的に。このシーンが本当に大切なのだ。このシーンで作品の出来が決まる。いや、作品の方向性が決まる。ともかく大事な冒頭シーン。ゆっくりしてはいられない。冒頭から畳み掛ける。圧倒するイメージで演りたい。その為にも、三人の呼吸、リズムが大切。まずは自分の長台詞だが…。

10月はずっと体調思わしくなく、偏頭痛、肩こり、首痛に悩まされ通院の日々だった。ジムに通って体力強化月間にしようと思っていたのに調子が狂った。そのぶん、台詞を覚えることに専念した。
台詞覚えは、後日改めて書くこととして苦心した。日頃から3行の台詞ですら苦労するのだから当然。「台詞覚えは反復」山崎努さんも言っているが、いろいろな方法を試してみる。映像の時は、台詞をノートに書き写してみたりもするのだが、今回はそんな訳にもいかず、全編を22のブロックに分けてから、ボイスメモに吹き込んで耳で覚えてみたりした。それをまた大きく4ブロックに分けたり…。最後の最後まで試行錯誤。
そして11月、同じメンバーでの二度の自主稽古を経て、更に補習で、森谷勇太と二人っきりの自主稽古を経て、いよいよ、本当の稽古が始まる。
稽古開始一週間前に、ようやく原因不明の、長く続いた首痛がピタッと治まる。頸椎の歪みになんらかしらの奇跡が起きたかのような、自分でも驚くような劇的な回復だった。
痛みが治まったのでジム通いも再開。
稽古を重ねながら、尚かつ体力も回復させなければいけない。もうあまり時間もない。

11月26日
稽古開始二日前。直前に脱稿された最新稿をプリントアウト。それまで付き合ってくれた台本に書き込んだことを新たな本に書き写す。
1ページめ、タイトル裏の白紙には「悪魔のように細心に 天使のように大胆に」———
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映画「貌斬り」は絶賛編集中。「手応え有りっ!」の報告を監督の細野辰興さんから受けています。
この文章は、完成した映画を、全国各地の映画館で観てもらいたい一心で書いてみようと思ったものです。
映画「貌斬り」はモーションギャラリーサイトにて、劇場公開を支援していただける方を募っています。良かったらサイトの方もご覧になっていただければ幸いです。募集も残り二ヶ月となってきました。
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編集中の、細野監督、若林大介さんへのエールも込めて、、、